李修賢、傅声の事故を回想 汪禹の運転に怒り「誰も同情しなかった」
香港の俳優、李修賢が汪曼玲のインタビュー番組で、親友だった傅声が1983年に事故で亡くなった当時を振り返った。香港01によると、李は今も心残りがあると語り、事故の原因について、汪禹が対向車の来る道路で追い越そうとしたと説明した。
李の話では、1983年7月6日、食事を終えた傅声は兄の運転する車に乗り、汪禹も別の車で現場を走っていた。李は、汪禹がバス停付近で対向車が来ているのに前へ割り込もうとし、その後、傅声の車が道路脇の擁壁にぶつかって山側へ衝突したと回想した。事故の経緯は李の番組内での説明として伝えられている。
傅声との思い出と汪禹への怒り
李は傅声を「最も手放しがたい友人」と振り返った。傅声が家族から俳優を目指す支援を受けられず、食事にも困っていた頃、アルミ窓の修理の仕事をしていた李が弁当を買って一緒に食べたという。
一方、李は汪禹についても語り、邵氏の宿舎で姪に車がぶつかりそうになった際、野球のバットを持って追いかけたことや、後年に配音員らから金を脅し取ろうとしていたとする自身の経験を明かした。汪禹の晩年については、傅声の死後に同情する人はいなかったと述べた。これらは李が番組で語った見解や逸話で、事故の責任や当時の行為について独立した確認が取れた事実としては扱わない。