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蔡康永の今週|10月29日夜時点

2026年10月26日〜11月1日の週刊記事として、10月29日16時から30日0時までの収集分に基づき、蔡康永が語った同志の権利、選挙をめぐる対話、中国での活動への思い、家族の来歴をまとめる。週内のこの時間帯に確認できた報道を扱う。

胡瓜は投票の意向を示し、蔡康永への評価は推測にとどめた

胡瓜が客家電視の「胡來旅行社」第2季発表会に出席した様子。
画像の掲載元:自由娛樂(写真:胡舜翔) ↗

10月29日の記者会見で、胡瓜は年末の九合一選挙について、支持候補が当選するかにかかわらず投票に行くと話した。納税や兵役を経験した市民として、投票は権利だという考えを説明し、過去に息子と野球観戦をした際、球場で着た味全龍のユニホームだけで特定球団の支持者と受け取られた経験も紹介した。

蔡康永が沈伯洋と蔣萬安の競選活動に出席したことについては「聰明な人だから、本人なりの考えがあるはず」と述べ、外から意図を決めつけることを避けた。胡瓜自身も、政治番組で異なる立場の人に接したり野球場で球衣を着たりする一つの行動が、立場の表明と解釈される難しさを語った。

同志バーへの警察捜索が、蔡康永が公の場に立つ理由の一つに

蔡康永と王偉忠が中廣流行網の番組収録で並んで座る様子。
画像の掲載元:自由娛樂(写真:中廣提供) ↗

蔡康永は10月29日、王偉忠が司会する中廣流行網の番組「欸!我說到哪裡了?」で、10月3日に台北・西門町の同志バーが警察の捜索を受けた際の執行をめぐる問題が、同月4日に沈伯洋の競選総部設立行事へ出席した理由の一つだったと説明した。同性を好きな人々を「可欺負、齷齪的族群」と見る風潮が戻るのを黙って見てはいられない、という思いを語った。

2001年にテレビ番組で自ら同性愛者だと公表してから25年。蔡は、若い人が親に将来を心配されたとき「蔡康永は元気に暮らしている」と伝えられる存在であり続けることを重く受け止めていると話した。蔡の説明では、過去の公表経験や社会の理解が後戻りすることへの懸念が、今回の行動につながった。

中国市場での損失を認め、これまでの読者やファンに感謝

蔡康永と王偉忠が番組収録で対談する様子。
画像の掲載元:自由娛樂(写真:翻攝自YouTube) ↗

蔡康永は同じインタビューで、政治をめぐる一連の反応によって商業面で大きな損失が出たと認めた。中国での活動や出版を通じて得た経験と読者の支えを振り返り、王偉忠から「今後は中国へあまり行かないのか」と聞かれると「そうだ」と答えた。市場から離れることはつらくても、これまでの縁や経験まで否定するつもりはないという。

微博に「台独を支持したことはない」と投稿したのは、これまで応援してくれた人や仕事仲間に、突然姿を消す前に感謝と説明を伝えたかったからだと複数の報道が伝えた。本人は、損失を受け入れつつ、自分の行動を変えて誰かを説得する意図はないとも述べている。

対立より対話を望み、自分の選択にも代償を引き受ける

蔡康永と王偉忠が「欸!我說到哪裡了?」の収録で向かい合う様子。
画像の掲載元:自由娛樂(写真:中廣提供) ↗

蔡康永は、台湾ではほぼ2年ごとに選挙があり、政治の違いが家族や身近な人同士の争いにつながることを案じた。沈伯洋、蔣萬安の双方の活動に足を運んだ経験から、支持者の熱意や価値観は現場で実感できたと話し、候補者が相手を攻撃するより、理性的で明るく政策を語れる選挙が可能か試したかったと説明した。出席した表情や振る舞いに対する外部の解釈を逐一正す考えはなく、今回の騒動がここまで大きくなるとは予想していなかったという。

この経験を「政治に触れたけれど死ななかった」と、過去のカミングアウトになぞらえ、損失があっても試みたことを後悔していないと話した。投票では候補者の勝ち負けだけでなく、どんな暮らしを望むのかを考えてほしいとも呼びかけた。曹操の生涯やイーロン・マスクのロケット実験を例に、安穏だけを求めず未知のことを試したいという心境を語った。

小Sとの再共演は未定、記憶力の変化と舞台への思いを語る

「康熙來了」で並んで出演する蔡康永と小S。
画像の掲載元:自由娛樂(写真:中天提供) ↗

小S(徐熙娣)と「康熙來了」で長く組んだ蔡康永は、再び一緒に番組をする可能性を問われ「分からない」と答えた。記憶力が以前より落ち、知人の名前がすぐ出てこないこともあるとして、今後も司会を続けられるか自問した。一方で、病気の中でも舞台に立った高凌風を思い返し、最後まで舞台で力を尽くす姿への理解が深まったと話した。

約30年前の著者紹介から、台北と上海にまたがる家族の来歴を回想

ベレー帽と眼鏡を着けた蔡康永のポートレート。
画像の掲載元:自由娛樂 ↗

蔡康永は古い本を整理していて、最初の著作に載せた紹介文を見つけたと明かした。そこには「台北生まれで、半分は上海人」と記していたという。両親はそれぞれ上海で暮らしていたが、時代の動きで台北へ渡った後に出会い、蔡が生まれた。本人は、そうした歴史的な移動がなければ自分は存在しなかったかもしれないと振り返った。

血統や出身地のように自分で選べないものだけで人を定義するのではなく、それぞれが暮らしやすい自己認識を持てばよいという考えも示した。30年前の記述を今の政治的な文脈で読み返した話として伝え、出自そのものを現在の政治的立場と結びつけない。